I am TAKEDA. 武田勝彦オフィシャルHP ご縁と、日本と、岡山と。 これはただの保険屋の物語ではありません。「あなたの未来と僕の未来。僕はお互いを高め合っていけるお付き合いが絶対にできると思っています。」

岡山に、星の数ほどのライバルがいる保険業界で 他を圧倒する契約数を誇る、”化け物営業マン”と呼ばれる男がいます。 広がるフィールドは日本全国、そして世界まで。

“なぜこの男だけが売れるのか?” そこにはその理由と、涙と笑いと感動のドラマがありました・・・・・・

あなたがここに辿り着いたということは、もうすでに武田勝彦のお客様か、 どなたかからのご紹介をいただいた方でしょう。

2016年から保険代理店として独立。 次のステップへと進み始めた武田勝彦。

『こいつはスゲエ!!面白い!!』と誰もが認めるこの男と あなたにもぜひご縁を作って頂きたいのです。

「あなたの人生が変わる」ことをお約束します。

突然の訃報。

「もしもし、武田さんの携帯で間違いありませんか。」                            
「はい!武田です。山本さん、ご無沙汰してます!」 

電話の相手は顧客である山本さん(以降敬称略)の妻だった。 
「武田さん、実は・・・うちのお父さんが昨日、心筋梗塞で亡くなりました・・・」                  
「ええっ!?そんな、本当ですか!?・・・ご自宅でですか!?」
武田の脳裏に、子煩悩で他人への面倒見がよく、兄貴のような存在の山本のことが浮かぶ。  
すっかり肌寒くなった、暮れも押し迫った12月の始めのことだった。

「一昨日会社で急に苦しんで救急車で運ばれて・・・意識が戻らないまま昨日、逝ってしまいました・・・」
「すみません・・・声が出ないです・・・山本さんまだ40代ですよ・・・・・」
「はい・・・武田さん、今日がお通夜で明日が告別式です。それと・・・私、掛けていた保険のこととか
何も知らないんです。今後の手続きとか。式が終わって落ち着いたらいろいろ教えてもらえますか。」
「もちろんです。僕、今大阪にいるのですぐに岡山に戻ります!」

夕方以降の予定をすべてキャンセルし、亡くなった山本の保険担当者であった武田勝彦は新大阪から岡山行きの新幹線に飛び乗った。

涙雨。

“ちきしょう・・・山本さん・・・早すぎじゃわ・・・・・” 

新幹線の中で彼との日々を思い出す。
こちらが仕事を頂く側なのに、食事をしても「俺の方が先輩じゃ!」と決してお金を出させてくれなかったこと。
誕生日が近付くと飲みに誘ってくれたこと。お客さんを何人も紹介してくれたこと・・・
武田がある事情から1年間酒を断っていると言った時も、『じゃあオレも健康のために酒やめるわ。
武ちゃん、付き合うぜ!』と言ってくれた人だった。

この時、武田は34歳。外資系保険会社に移って数年、若さもあって休みなく
全国を忙しく飛び回る毎日を送っていた。

通夜は故人の人柄をしのばせ、200人を超える人々が集まっていた。山本の一人息子はまだ中学2年。
これから親子でたくさんの思い出が作れたはずだった。彼は通夜の間も決して涙を見せず、気丈に
振る舞っていたことが印象的だった。生前の山本がさんざん自慢していた息子、それが彼だった。

翌日の告別式は雨。しめやかに、そして静かに彼を見送る涙雨になった。

葬送車に向かい手を合わせ、頭を下げて見送りながら、武田は数年前に山本と交わした約束のことを思い出していた。

昇進。

「武ちゃん、俺な、今度部長に昇進することになったんよ。ほんでな、給料も上がるんよ。」               

ある日、山本が勤める化学薬品会社の近くに呼ばれた武田は一緒に昼食を摂りながら話をしていた。

「それはおめでとうございます!山本さんの頑張りが認められたいうことですもんね。お祝いせないけんですね!」

「ありがとうな。皆さんのおかげさまや。それでな、相談なんじゃけど、この前息子と話したときに思ったことがあってな。」
ほう。なんですか?

「息子に夢を聞いたら結構な夢持っとるみたいでな。調べたらそれ実現させたるためにはえらいカネ掛かるなあって思てなぁ。いろいろ相談乗ってえや。」
「そりゃあええことです!じっくりいろいろ聞かせて貰います。早速ですけど今日の夜なんか空いてます?」

「早いなぁ〜、相変わらず(笑)。ええよ。この前の店でええかな?7時半なら行けるわ。」
「ほんなら今まだ店の電話繋がらん時間なんで後で予約入れときます。こういう夢のある話はええわぁ〜!
夜7時半、楽しみにしときます!」

依頼。

その夜、二人の行きつけの居酒屋。
武田は山本と様々な話をした。子供のこと、家族のこと、プライベートのこと、仕事のこと・・・・

「へぇ〜。人は見かけによらんもんですねぇ〜。」
「失礼な!結婚する前は彼女も常に何人かおったんよ(笑)。今はおとなしいもんじゃけど(笑)。」

「しかし女房言うのは有難いで、武ちゃん。男はこうやって外で好きな事できるけど、
女房はそういうわけにはいかんのじゃから。」
「その通り!妻は偉大ですよ。僕も妻にはまるで頭が上がらんのです。お互い女房に乾杯ですね。」
二人して大笑いしながら乾杯した。

「ほいでな、息子のことじゃけど、将来宇宙工学とかそっちの方面に行きたい言うんよ。
ちょっと調べてみたら私立なんかに行かれたら結構なカネがかかりそうなんじゃ。」
「凄いですねぇ。もう行きたい方向が決まっとるんですか。今、お子さん歳なんぼでしたっけ?」
「小学校の4年生よ。頼もしいじゃろ?え?」

大の子供好きの武田は人の子供自慢を聞くのが好きだ。

「でな、武ちゃん。子供が進学する時に必要なお金は、妻も知らん俺の貯蓄から
サプライズで出したいんよ。」
「なるほど!それで貯めていきたいということですね。」

「上がる給料の大部分は息子のために貯めときたいと思てな。」
「うぉぉ〜何かワクワクしてきた!そういう話は任せてくださいよ!!」

最高のプラン。

保険と言うのは『保障の付いた資産形成商品』という側面が大きいことを殆どの人が知らない。
保険を有効に使えば資産形成効果が得られることを山本は武田から聞いて覚えていてくれた。

武田は予算の中から子供の将来に必要な金額を加味し、確実に貯められるプランを作った。

「別口で学資保険もやってもろてますからそれも考慮して、不足分の学費と東京の大学行ったとして
プラスこれくらいも考えといたほうがいいですね。このプランやったら息子さんが大学に入る時に合わせて
1300万貯まってます。充分足りるんやないですか?」

「なるほどなあ。ええな!」
「山本さんにもし万一のことがあっても保険ですからちゃんとフォローができます。
自信のプランです。」

「うん、これやったら安心じゃなぁ。うん、これはええわ。これでやってや武ちゃん。」
「わかりました!急いで進めます。」

「武ちゃん、俺に何かあったらうちの大事な家族のこと頼むで!あんたが頼りじゃけんな。」
「任せてください。何かあれば、ですけどね。僕が必ずしっかり動きますから!・・・しかしホンマ
山本さんは家族思いですね。」

「おう。家族あっての俺やからな。武ちゃん、頼むで〜!!」

二人の間で、そんなやりとりがあったのだ。
あれからたったの4年・・・・辛すぎる現実に、武田は打ちひしがれた。
これから武田がすべきことはたくさんあった。

家族への伝言。

葬式の翌日、武田は山本宅を訪れた。山本の妻が口を開く。

「私自身、どんな保険に入ってたとか全部主人に任せきりでよくわかってないんです。
主人もいつも、もし万一のことがあれば武田さんに言えとしか言われてなくて・・・・」
「大丈夫ですよ。僕もご主人にご家族のこと、託されてますから今日しっかりとご説明します。」

山本の妻に、以前から加入して頂いていた保険の話を始めた。

「死亡保障で●●●●万円、●日後には全額振り込まれます。
おおよそ、下りてくる保険金は奥様の記憶通りの額ですよね。」

「はい。そうですね・・・なんとなくの記憶ですが・・・」

「それとお子さんの学資保険があります。これも被保険者が亡くなった場合、以降の支払いは免除されます。
その分が満期で●●●万円あります。これは●●に振り込まれます。」

「そうなんですか。それも知りませんでした・・・・」

「それと奥さん、もう一つ、ご主人から預かっているものがあるんです。」
「え?何ですか?」

夫の秘密。

「実は4年前にご主人が部長になられた時、給料がドンと上がりましてね。
上がった分を息子さんの将来の為に遣いたいと保険を追加されました。」

山本の妻の顔が驚きの表情に変わった。

「うちはお金の管理も主人がやっていたものですから・・・部長に昇進した時も『うちの会社は渋ちんだから
雀の涙しか給料が上がらない。嫌になるよな』なんて言ってたんです。・・・そうだったんですね・・・」

武田はあの日山本と話したこと、そして契約の時にご主人から言われたことを一緒に息子さんにも聞いてもらい、
二人に話した。

「本当は給料、10万円近く上がってたんです。その殆どを息子さんの将来のためにって。将来サプライズで、
必要な時に『これで好きなことやれ!』言うて自分が出すことを楽しみにされてました。・・・その分がこれです。」

二人にしてみれば驚きの金額だった。

「和史くん。・・・・凄い親父じゃろう?君のお父さんは。」
山本の息子・和史は「はい・・・・」と言って泣き崩れた。

父の深い愛。

「奥さん、死亡保障の形でお届けすることになってしまいましたがこれで息子さんの将来の夢を守ってあげてください。」

「ご主人が保険の増額を決められた日、僕に『武ちゃん、俺に何かあったら、俺の大事な家族のこと頼むで!』って
言われたんです。だから今後あなた方に何かあったら僕がいつでも相談に乗りますし手を貸します。
遠慮なく言ってください。ご主人との約束ですから。」

父の隠れた愛を知り、二人とも涙が止まらなかった。

「・・・和史くん。実は僕も君と同じ中二のときに親父が死んだんよ。」
「え!?・・・そうなんですか?・・・」

僕なんかな、死んだ前の日に親父に暴言吐いてもうてな。毎日深夜遅くまで仕事ばっかりの親父に
『親父アホか!家族のこともっと考えろや!』って言うたんが最後の会話になったんよね・・・。

親父は喜ぶかい?

「僕も今日から親父さんの代わりに君のことを呼び捨てにするで。僕らはな、和史。・・・生きとる僕らは死んだ親父が
恥ずかしくないように、親父が天国でみんなに自慢できるような生き方をしていかなあかんのよ。わかるか?」

「・・・・はい。」

「僕はまだ子供おらんけど、親父の気持ちが今ならわかる。和史が本気で迷った時は僕がそうしとるように、
『これをやったら親父が喜ぶか、認めてくれるかどうか』で考えてみたらええ。もちろん僕に相談してくれてもいいよ。」

「・・・はぃ・・・・あぃがとぅごぁいぁす・・・」

山本の息子・和史は嗚咽している。

「和史が人の道に外れるようなことしたら、僕が親父の代わりに和史をぶん殴るかもしれん。だけど和史がこれから
一生懸命に自分の人生を生きることと、君が困った時には僕が大好きだった山本さんの代わりを務めることも、
どっちも僕らの責任や。」

「はい。ありがとうございます・・・頑張って生きます・・・絶対・・・・・」

「・・・わかるよな・・・約束しようや。」

同じ血。

「近い将来な、僕に子供ができたら和史がお手本になっていろいろ教えたってくれ。頼むぞ!」
「はい。わかりました!」

「奥さん。山本さん、最高の息子さんを残してくれましたね。なんか、僕も鼻が高いわ。」
「ありがとうございます。・・・でも武田さんはなんでここまで言って下さるんですか・・・・」
山本の妻が尋ねた。

「もちろん彼との約束もありますけど・・・・」武田が続ける。

「もし僕に何かあったら、たぶん山本さんも僕の家族に同じことやると思うんです。だからお互い様です。
和史、ええか。和史のお父さんはそういう人じゃ。和史にも同じ血が流れとるからな。」

「・・・はい・・・」
「困った人がおったらおまえが助けてあげろよ。お父さん絶対喜ぶわ。」

和史は何度も頷くだけで声にならなかった。

武田はそれからも時折、思い出しては山本宅に顔を出した。
山本の妻にも和史にも「困ったことはないか。」「悩みはないか。」とその都度聞いた。

そして3年半後、山本の妻の再婚話が具体的になり始めた時、武田も気遣い、
静かに距離をおいた。

武田の家族。

時は流れ、武田も外資で11年のキャリアになった。それ以前のJAでの保険業務を合わせれば
保険の仕事に携わってもう18年にもなるベテランだ。

山本が亡くなって早や6年。この間、武田にも二人の子供ができたが、相変わらずの出張続き。家族になかなか
会えないからこそ毎日の電話と、家に戻って顔を合わせた時の子供達とのスキンシップは欠かせない。
人の命など、いつどうなるかわからないことを武田自身が一番良くわかっているからだ。

ある日の夜、出張先の東京で武田の携帯が鳴った。

「もしもし。武田さんですか?僕、山本和史です。おかげさまで誕生日がきて20歳になりました。
お酒が飲める歳になったのとどうしても武田さんに会いたくなって電話しました!」
「おー!久しぶりじゃなあ!そらおめでとう!思い出してくれて有難うな。よし!お祝いしようや。
いろいろ積もる話もしよう!明日の夜遅くには岡山帰るんやけど、和史、明後日の夜時間あるか?」

「はい。バイトも休みなので大丈夫です。」
「ほんなら明後日の19時で、場所はメールで送っとくわ。」

久々の和史からの電話に、武田も喜んだ。

再会の場所。

「和史、こっちこっち!」
「わぁ!お久しぶりです!!」
「うわ!ちょっと待て!・・・おまえ・・・親父そっくりやないか・・・・」
武田の目が自然と目が潤んできた。目の前の和史は目元から優しい笑顔、背の高さまで亡くなった
父親の面影をしっかり残すように成長していたからだ。

「その節はいろいろとお世話になりありがとうございました!父と武田さんが遺してくれた保険金のおかげで
うちは家も売ることなく、僕も大学にも入れました。」
「ほら良かった。親父さんに感謝よな・・・そういやバイトが言うてたけど和史、こっちにおるんか?」

「そうなんです。実は僕に気を遣って母は結局再婚もせんかったんです。そんな母を一人にするのは
忍びなかったし、やりたいことも変わってきたんで結局地元の大学にしたんです。」
「そうやったんか。おまえは優しいやっちゃな・・・そんなとこも親父さんによう似とるわ。よし。
成人になったんやな。最初はビールでいこか!」

「成人おめでとう!乾杯!!」
一緒に酒を飲みながら、武田は彼の父・山本の話を始めた。

親父の話。

「飲みに行った先で親父さんが財布なくしてな。どこで落としたかわからんから二人して夜通し捜し歩いてな。
あきらめて帰ったら僕のカバンからその財布が出て来たんじゃ!!」

「マジですか〜!(笑)」

「おまえの親父さんは敵がおらんかった。みんなによくしてあげる人でな。僕らの周りもみんな親父さんのことが
大好きやった。今でもよう思い出すよ。みんなが山本さんみたいな大人になりたい思うとった。」

和史は自分が知らない父の話を一言も漏らさないように、頷きながら武田の話を聞いていた。
彼は武田の目から見ても、誠実で素晴らしい若者に育っていた。

「武田さん、僕ね。いっつも考えてたんです。父は僕にどんな人間になって欲しかったのかなって。
母はおまえがやりたいことをやればいいって言うんですけど。」
「親父さんとお母さんの考えは一緒よ。和史がやりたいことや好きなことをやって『ああ、生まれてきてよかった』と
感じてもらえたら最高じゃろうな。うちもあれから子供が二人生まれたんよ。僕も自分の子供に同じように思うけんな。」

「そうですか・・・そうですよね。・・・・武田さん、僕は生まれてきてよかったって思います。父と母の子でよかったって思います。」
「ほうか。親父さんも今喜んどると思うよ。・・・実はな和史・・・」
「え?」

一緒に。

「・・・この店な。お前の親父さんといっつも来とった店じゃ。実は親父さんと初めて和史の夢の話をしたんもこの店やった。」
「そうだったんですか・・・」

「・・・親父さんがいつも座る定位置が、おまえが今座っとるその席や。」
「え・・・この席・・・ですか・・・・お父さんがここに・・・・」 
「親父さん、いつもそこに座って和史の話ししてくれたんよ。」
「・・・・・ここで・・・・。」

和史は泣き始めた。
「親父さんもこうやって和史と一緒に酒を飲みたかったろうな。」
「・・・はい・・・僕も・・・飲みたかったです・・・・」

親って有難いよな・・・・親父さんな、今も絶対どこかで僕らの会話聞いとる思うよ。
僕にもな、武ちゃんありがとうなって言うとる気がするんよ。

「はい(泣)・・・・」

「実は昨日の夜ね、武田さんがうちに来て明日どうしてもこの席を空けてくれって。この席やないとあかんのや、空けんかったらもう来んぞ言うて(笑)。
でも私も今日見てびっくりしましたわ。息子さん、山本さんにそっくりやね。」
店の大将が和史にそう告げた。
「・・・そうだったんですか・・・武田さん、大将、ほんまにありがとうございます。嬉しいです・・・・」

将来の夢。

「よかった。うん。・・・それで和史、結局将来はどっちに進むか決めたんか?宇宙工学なんか?」
「いや。実は他にやりたいことが出て来たんです。」
「ほう。どんなこと?」

「うちはあの思い出の詰まった家に住むことができたから生活と気持ちを守れたんです。
あの家があったからまだ父がふっと帰ってくるような、そんな気持ちがいつもあったんです。
家の存在って大きいなって。宇宙まで行かんでも、人や家族の幸せって身近なところにあるって
気付いたんです。今、建築学部に行ってます。家を建てる仕事をしたいんです。」

「そりゃええわ!しっかり考えとるんやな・・・よし!乾杯じゃ!大将もグラス持って早よ来てや!」
「ほいほい!こら目出度いなぁ。」

店内に3人の乾杯の声が響いた。

和史の将来。

「ええか。親父さんはおまえの生き方のお手本じゃ。自分が親になる時、親父が和史に対して深い愛を持って保険に託してくれたように、
和史も将来結婚したら、自分の子供の夢を叶えてやる道筋だけは作ってやるんやぞ。」

「武田さん、僕もそのことを考えていました。」
「命のリレー、そして愛のリレーをしていって欲しい。これが武田のおっさんからの願いじゃ。」

「もし将来子供が生まれたら、父が僕にしてくれたように僕も自分の子供にしてあげたいです。
その時は相談に乗ってもらえますか?」

「当たり前じゃ(笑)。しっかりお金を貯める話も、素晴らしい仲間をたくさん作る方法も親父の代わりに
僕と僕の仲間らが和史に何でも教えるで!素晴らしい仲間達をどんどん紹介していくけん、
おっさんたちを上手く使えよ。僕らもそうしてきたんやから。」

「はいっ!これからも宜しくお願いします!」

武田は感動していた。和史は父の素晴らしい遺伝子を継いだ立派な大人に成長した。

そして和史は『子供時代の夢』とは違う方向に進もうとしている。
大人になった彼の『新しい夢の話』を、武田は山本の代わりに聞かせてもらうことができた。
こんな幸せなことがあるだろうか。
武田は心の中で山本に手を合わせた。本当に嬉しい夜になった。
和史とも、これから長い付き合いになると思う。

夢を繋ぐもの。

保険は、家族の夢を繋ぐものだ。
今は必要でなくても将来、必ず必要になるときが来るもの、それが保険である。

だから武田は子供を持つ人には必要になるタイミングを予測した夢のあるプランを作る。
そうすることで、数字に命を吹き込むことができるからだ。

保険がくれるものは単なる『万一のお金』ではない。それは夢を形にできる大切なものだ。
そしてそのお金は家族を想う『愛そのもの』だと言っていい。

『命に代えても守りたいものがある』
あなたがそう思っているなら、あなたの思いをどうか武田勝彦に聞かせて欲しい。

武田勝彦が心を込めてあなたの思いを形にし、全力で応えさせて頂くだろう。

お問い合わせ・ご連絡は
090-4692-7137
 驚かないでください!本人が出ます。
takeda.k@sa-i.co.jp

日本でセールス5本指に入る男。

“比類なきセールスマン” ―――――。

その形容詞が最もしっくりくる人物。それがこの男だと思う。
生命保険業界というのは高額所得を狙ってあらゆる業界からヘッドハントされてきた猛者たちが何万人と集うビジネス界の超激戦区。
ここで勝ち残ることは並大抵のことではない。

一般の人が思い描くトップセールスの人物像があるはずだ。
実際に様々な噂話を耳にすることだろう。

『トップセールスほど働いていない。なぜならすべて紹介だからだ。』
『効率の良い大口の客に特化するからだ。』
『スマートな身なりで、セレブ顧客ばかりを束ねているからだ。』・・・・・・・

しかし、この男にはどれもピンと来ない。
僕はいつも泥臭く、人との繋がりを探してますねぇ(笑)。

武田勝彦。 。某外資系生命保険会社の岡山県の正真正銘のトップセールスである。岡山だけではない。
日本でも常に上から数えて5本指に入る。
武田が他のトップセールスと違う点。それは契約額の大きな法人客を中心に相手にするのではなく、
しいていえば個人客の方が多いことだ。

「特に得意とか、専門にしているマーケットはありません。ジャンルを問わずいろんな人と出会えることが
この仕事の魅力なんです。『ここをターゲットにする』なんて、何でも限定して決めつけてしまったら面白くないでしょう?」

常に日本はおろか、世界を飛び回っている。

この前計算したら、月の半分は飛行機か新幹線に乗っていることになっていました。
そう話す武田は家族と過ごす時間も週末に1日だけ。だから仲間と集まるときには極力家族同伴。
そうしなければ家族との時間が足りないからだ。

武田勝彦プロフィール 1976年岡山県岡山市生  福山大学卒業後、JAへ。肥料や農薬を扱う部署で仕事と言うものの面白さを知った後、入社五年目で共済や保険を扱う部署へ。 二年間ずっとトップセールスとして活躍。その後ヘッドハンティングで外資系保険会社へ。 ここでも頭角を現し、三年で岡山のトップセールスへ。 現在、フィールドを全国に持ち活躍する傍ら、顧客同士のご縁を繋ぐ、相談に乗る、勉強会を開く、支援する、飲み会を開く、 顧客の扱う商品を行く先々でPRする、など『お客様のセールスマン』としても精力的に活動。 圧倒的なファン顧客を抱え、全国でも五本指に入る保険のトップセールスとして活躍中。 幕末に活躍した蘭学者で医者の緒方洪庵の出身地であり、『夏には庭にホタルが飛んでくる』町・岡山市足守に妻・子供と暮らす。

なぜこの男がトップセールスたるのか。付き合っていくうちにその理由がはっきりと
見えてきた。営業という仕事に悩む人にもぜひ、伝えたいと思う。

「僕が見たいのは、セールスの向こう側。ご縁あってお付き合いが始まったら僕はその人たちに何をしてあげられるのか。
僕をどう使ってもらうのか。そして僕はその人たちが依頼してくれる新たな課題にどう立ち向かうのかを考えます。
こんなワクワクすることはありませんよ。」

武田勝彦。この男、いったい何者なのか?

キャッシュカードは、持つな!

ご家庭の皆様が確実にお金を残す方法ってあるんですよ。」 
あるとき武田が言った。

「資産を減らすものはたった二つ。あなたの人差し指とキャッシュカード。これだけ。
これさえなければお金があなたの口座から減ることがないんです。つまり資産は守れます。」

欲しいものや要り用があれば、財布の中のカードについつい手が伸びてしまい、
それをATMに入れて人差し指で画面をタッチする。
これが元凶。キャッシュカードさえ持たなければ、お金は減らない。

シンプルでしょ?」 武田は笑う。

武田勝彦。

肥満、片親、イジメ、介護、借金 ―――― 。

今の彼からは無縁と思われるこのキーワードも、実は小学校時代から彼が一通り苦しんできたものばかりだ。

「まさにコンプレックスの塊。若い頃はまったく幸せを感じていませんでしたね。
俺の人生いったいどうなるんやろう?ってそればかり考えて生きていました。」

正しいと思ったことをすぐ口にしてしまうゆえに、中学時代にイジメの標的にされたこともある。
ただし、何かされるイジメではなく、『無視』というものだ。持っている世界が狭い中学生には
世界中から無視されているという思いとなる。自殺が頭を過ったこともある。

その頃、一人だけ、無視せずに普通に接してくれた男がいた。
おまえはみんなみたいに俺を無視せんのやな。」という武田の言葉に
彼は言った。

「なんやそれ?くだらん。おまえはおまえやろうが。」

この男のおかげで救われた。富山雅人。今は大阪に暮らす彼とは今も親友だ。

高校時代はとにかく遊んだ。カラオケとゲーセンが第二の家。毎日のように街へ出て
友達と遊び呆けた。街で稼いだバイト代はすべて街へ置いて帰っていったものだ。

青春してるなあ〜!」 
そんな毎日には何の不安も感じなかった。

◆株式会社スタイルプラス 研修・合宿旅館「陽だまりの家」   代表取締役 村上博志 様 武田さんは情報と人脈の玉手箱ですね。何か困ったら、まず頭に思い浮かべる のは武田さんです。相談をすると、何かしらの情報か人の紹介をいただけます。 この人面白い人だなあ〜という人を不思議と紹介したくなるのも武田さんです。 一言で表現するなら、「人生の応援団長」っていう感じです。

母の愛。

高三の時、国立大学の受験に失敗。
遊んだ割にはそれなりに勉強もしていたため、この現実はショックだった。武田は言う。

「母子家庭なんで、”もう働くしかないな”と思っていたところで母が言ってくれたんですよね。
『入学金払ってあるから、あの大学行きなさい』って。驚きました。」

あの大学というのは、国立志望一本だった武田を試験慣れさせるために母親が無理やり
受けさせた広島の私立大学のことだ。

私立はカネがかかる。申し訳なさとやるせなさで躊躇している武田に母が言った。
「あんたは心配せんでええ。大学行っていろんな経験してきなさい。」

母親の愛情に涙した日を今でも忘れずに覚えている。

母の頑張りと奨学金とで武田は晴れて大学生になった。

アメリカに行こう!

日本の多くの大学生がそうであるように、勉強はほとんどしていない。
バンドとバイトに明け暮れる日々。どちらも必死にやった。家の生活費も
自分が稼いでやると決めていたからだ。バンドはハードコアバンドでベースを担当。
CDを出す度にレコード発売の名目でライブツアーに回る。
そこそこ人気もあったため、まあ楽しくてしょうがない。
一方でバイト先はゴルフ場でのキャディー。このギャップが自分でも面白かった。

ゴルフも練習してだんだん上手くもなる。しかしプロゴルファーまでは無理だろうと思ったんで
アメリカでプロのキャディーになろうと決めたんです。

就職時期、企業面接はほぼすべて受かった。しかし腕試しだけで全く行く気がないから都度、断りを入れる。
アメリカ行きしか頭にないため、他が見えないのだ。
しかし家族にいきなりアメリカでキャディーと言ってもおそらく理解してくれないだろう。
そんな時だ。

「岡山のJAで募集があるけど・・・・いいか。これ逃がしたらもうないぞ。」
学校からリミットギリギリで言われた。

JAへ。

JAか・・・アメリカはそこでカネを貯めてからでも遅くないだろう。たぶん9時-5時だから仕事の後でゴルフの練習もできるはず。
とりあえず就職してみるかな
。”
そう思って臨んだ試験に合格し、就職。

ところが、入ってみたらとんでもないわけです。
朝早くから、終わるのも9時過ぎという激務だが、この仕事の面白さにハマった。
3年間は本店業務で肥料や農薬の部門で鳴らし、その後の2年はJAバンクと共済のセールス部門へ。

部署を移ってすぐに『保険を扱う』というのはいいな、そう思った。
なぜなら保険という商品は売ったあとでそのお客さんと死ぬまで一生の付き合いを
続けていける唯一無二のものだとわかったからだ。
無類のおじいちゃんおばあちゃん好きが功を奏し、武田はここで2年間ずっと
トップセールスとして君臨する。

担当エリアが良かった。セールスに行けば皆快く買ってくれ、自分の所で採れた果物を出してくれる。
夏は5キロは太ったなあ(笑)。まさに組合員さんのおかげです。
」 
と武田は言う。

タケダ流ビジネス哲学。

武田は真っ直ぐな男である。
「どうやったらトップセールスになれるんですか?」という質問もよく受ける。

こんなエピソードがある。
過去に『食べられるのは卵・食パン・珈琲・グレープフルーツだけ』というダイエットに知人と挑戦。
武田だけが8か月で103キロから80キロへ、計23キロ減量した。
「誰かの成功例があるなら、やり方次第でうまくいくはずなんですよね。みんな途中で止めるから。
疑いを持たず、結果が出るまでただひたすらやるだけ。僕、今まで全部それです(笑)。」

実はこれこそが、彼のシンプルな成功哲学なのだ。

◆コディ&サーチパートナーズ株式会社代表取締役   株式会社感性リサーチ 室長  内藤光一 様 武田さんの魅力は厚すぎる人望とハイスピード。テキパキなんていう言葉は遥かに超えています。全国で活躍されているので『この人に日本は狭すぎるのでは?』といつも感心させられます。これからも永いお付き合いをお願いしたい素晴らしい方ですね。

ヘッドハンティング。

「武田さん、外資系の生命保険会社にご興味ありませんか?」
は?なんで?

ある時期からヘッドハンティングの話がよく来るようになった。もっと勝負を賭けてみたい、
と外資系保険会社へ。ここから武田のさらなる快進撃が始まる。

「なんで安定したJA辞めるの?バッカじゃないの?失敗したらどうすんの!?」

周りにさんざんそう言われた。

人が何と言おうと、リスクはさほど考えなかった。セールスの面白さは知っている。
そして何より、今度のお客さまは全国、そして世界規模なのが気に入った。

武田は転職を決めた。ただし周りの手前、次の仕事で結果を出すことは必至になる。

トップにならないといけない理由。

武田はとにかく動いた。3年間、1年に3日しか休まなかった。しかも毎日のように深夜まで。

最初の3年間はとにかく勢いをつけないといけないと思ってました。死んでもやる、と決めてましたから。
ホントに死にそうになったことも何度かありますけどね(笑)
。」

家に帰った途端、緊張の糸が切れて玄関でそのまま朝まで気絶したことも年に2度はあった。
途中の記憶もまったくない。だがそこまでやらないとトップには到底なれない。

「なんでトップにならないかんかというと、そうなって顔と名前が知られることで僕を
見つけてもらえるからです。ご縁頂いた方に何か困ったことが起きれば、僕は全力で
力になりたいし、お客さん同士だって僕がご縁を繋げていきたい。そうすれば新しい
輪や刺激が生まれてみんなよくなる。みんな幸せになると思うからです。」

寝ても覚めても仕事のことを考える。元旦だけは休もうと無理して休んだ。
するとどうだろう。朝玄関先に郵便物を取りに行ったときに年賀状配達の人を見ると突然不安が襲ってくる。

あの人は仕事しとるのに自分はパジャマで家にいる。すると猛烈な不安に変わる。病気ですよね(笑)。
その頃は完全なワーカホリックだったと思う、と武田は言う。

転職4年目に結婚した。『彼女はホント、大した女です。』と武田が言う女性。

この強烈な男にそう言わせる妻とは、やはり一筋縄ではいかない人物だった。

大した女性とのご縁。

「好きにしたらいいじゃない。」

2001年から付き合いだした女性がいる。仕事や遊びで忙しく、すぐに武田から切りだした。

やっぱりやらにゃいけんことが多すぎるけ、別れてくれ。
そんな武田に彼女は言った。

「わかった。好きにしたらいいじゃない。」
一度別れても、全然彼女には響かない。
『最後には自分の所に戻ってくるのはわかっていたから。』 そう彼女は言う。

時間が経てば、「また付き合うたらいいじゃない。」という彼女からの申し出で、また付き合い始める。
お互い、心地がいい相手であることは間違いないのだろう。
付き合って、別れてを3回繰り返した。武田はそこで気付く。

タフさ。のんびりした中での芯の太さ。気も合う。これだけの相手が今後現れるとはどうしても思えなかった。
4回目。最後は自分から頭を下げて言った。

「今まで悪かった。頼むけん結婚してくれ!」

結婚式は別名「朝日の宮」とも呼ばれる吉備津彦神社で行った。

披露宴はルネスホール。ここは旧日本銀行 岡山支店。
お互い金融機関に勤めていた事もあり、何より建物の歴史と重さに魅了されて選んだ。

仲間達もようやく年貢を納めた武田にやれやれ感がいっぱいである。
この男にはこの女性しか無理だ、というのは誰の目から見ても明らかだったからだ。

招待人数は収容出来る限界をと、80名強。しかしこんなもんでは全く足りず、夜には同じ場所で雰囲気を変えて130人の人を招いて大宴会。
武田と妻の人望の厚さを感じさせる一日になった。

                                    ●

そんな武田も今では家族が自分の軸だと公言し、名刺にもその言葉を刷り込むほどになった。
息子に続き、2013年には待望の長女にも恵まれた。自分は日本一の果報者だと行く先々で口にするのだ。

◆ U.B.U.株式会社 代表。 パブリック・スピーキングコンサルタント 西任暁子 様 「そこまでやる?」と相手の期待をいつだって上回る、喜びを生み出す天才です。 そんな彼の日常には、喉から手が出るほど聞きたい宝のコンテンツがいっぱい! 講演で、書籍で、メディアで、今後さらに多くの人に喜びを届けていく武田さんに乞うご期待!

ホケンの穴。

「金融庁が認可したこの保険というものには絶対的な穴があるんです。」

武田が顧客に対して言う言葉である。

「いいですか?貨幣なんていうのはただの紙切れに中央銀行が勝手に価値を決めたものです。
『絶対価値』じゃない『仮想価値』です。だから将来的にブレることも出て来るということです。
インフレだったり、国の都合で貨幣の価値なんて簡単に上がったり下がったりするもんです。
まずこのことだけは知っておいて頂きたいんです。」

例えば資産を預貯金だけで持っていても、それも将来的には紙屑になるリスクがあるということだ。

生命保険と言うのは、価値がフワフワしている『貨幣』というものに『保障』というルールをつけて売っている
金融商品です。ルールがあるということは逆に出来ないことがあるということ。100%完璧なものではないんです。

自分自身も保険を100%信用していなかったからこそ、武田はこの部分に対するリスクヘッジを徹底的に検証し、勉強した。

つまり、顧客の資産を作り、守るという部分を『保険を含めたあらゆるものから提案できる』脳みそを持っているということだ。

「どこまでいっても基本は『自分でお金を貯めてください』ということです。万一の時に貯めたお金で足りない部分を
保険でカバーすればいいという考えが一番正しいこと。貯金が何千万もあって、いざという時にそれが使えるなら
保険に入る必要はないと僕は思います。」

嫌われ者。

はっきり言おう。保険のセールスというのは”嫌われ者”である。
売る側も買う側も、多くの人が保険に対して全くと言っていいほど良いイメージを持っていない。しかも同業のライバルは何万人といる。
営業も大変なはずだ。

「いいことを知らせ、提案することに躊躇なんてないんです。将来日本が、世界がこうなっていくということを
わかっていて知らせない方が僕の中では罪になります。ご縁頂いた以上はマナーとしてセールスする。
その人が保険に入る、入らないなんてどっちでもいいんです。」

不思議なことに、武田にガツガツしたところは微塵もない。
100年以上前から先達のセールスマン達が足を運んでくれたおかげで今、
日本の大人たちに保険自体を一から説明しないといけない場面はない。

そこは本当に有り難いことだと武田は言う。

◆K デンタルクリニック 院長 小原清見 様 色んな顔を持っている方です。彼に相談したら必ず問題解決の糸口を見つけてくれるはず! どんだけ知り合いが多いの?といつも感心するばかりです。 さらに即行動の超エネルギッシュな人ですね。

みんな、判断基準がデタラメだ!

彼自身の保険に対する使命感とは何なのだろうか。

「今まで1万人以上にセールスしてきていつも思うことは、保険のイメージや判断基準があまりに違うと言うこと。
保険って何百万、何千万、何億の取引なんです。なのに存在がないがしろです。不思議でした。
こりゃ保険とセールスのステータスを上げる必要があると始めてすぐの頃から思いましたね。」

武田がいつも挙げる、ニッポンの不思議。それがこの2つだ。

●日本にはお金の(義務)教育がない。
●世の中の職業のほとんどが『売れなければ発展しない』ものであるのに、
  伝達力や販売力の(義務)教育がない。

これは悩ましい、悪しき現実だと思う。これなしで経済力の将来的な底上げなどちゃんちゃらおかしいと武田は考える。

「お金や仕事、特にセールスで困っている人々に僕からきっかけを与えてあげたいんですよね。」

教育にお金のことを入れて行かない限り、この国を維持していくことは不可能なのは
政治家じゃなくても皆わかるはずだ。それを伝える方法を今、仲間たちと模索している。
これは必ず実現させるのだ、と武田は言う。

常にフルスロットル!

“保険屋は契約をとったら終わりか――――?”。

いや、それは断じて違う。
契約者の数が増えれば、たった一つの体は悲鳴を上げる。一人一人を度々訪ねていくことも、
物理的には残念ながら不可能だ。

「僕は日々動いている中で契約者の皆さんに何があっても、保険のこと以外でも、いつどんな相談を受けても応え、
助けられるように自分自身のバックボーンを日々育てています。だから安心して欲しいんです。
御用聞きはできなくても、連絡を頂ければすぐに応え、駆けつけます。そして、僕が手伝えそうなことは僕に
どんどんぶつけて欲しいんです。」
 

彼の顔は広い。しかも全国区だ。

「とにかく常に動いていたい。じっとしている間にやれることがあると考えてしまうのでずっと動きっぱなし。
それが一番僕らしいと自分でも思います(笑)。」
 

◆社団法人日本収納デザイン協会 理事長   株式会社ヴァンヴィーノ 代表取締役  杉田明子 様 事業を法人成りしてすぐにご縁をいただき、会社の保険を等身大の私に合わせてプランニングしてもらいました。それからずっとお世話になりっぱなしです。保険のことだけでなく、会社が軌道に乗るためにと様々なことをサポート してもらっています。今となっては心から頼りになる、なくてはならない存在です。

ふるさと岡山、そして足守。

 

なんでずっとここに住むのかですか?簡単です。死んだ親父が建ててくれた家だからです。
岡山市北区足守。幕末に活躍した蘭学者で医者の緒方洪庵の出身地でもある。

緒方洪庵と言えば、門下生には福沢諭吉もおり、漫画『仁 JIN』にも登場する人物だ。

春は桜。夏は蛍。秋は紅葉。冬は雪景色。春夏秋冬それぞれに
顔を持ち、年中観光客が絶えないこの町で武田は生まれ育ち、
今も居を構える。

武田の家の庭にも、夏には蛍が飛んでくると言う。

蛍も随分減りましたね。子供の頃は数え切れないほど飛んできてたのに。
今はひと夏で数匹ですかねぇ。寂しいですよ。しかし子供を育てるのに
こんな素晴らしい環境はありません。この町のことをもっともっと知りたい。
そして、ずっと住み続けたいですね。

そして岡山には寒中の2月、県民が誇る大祭がある。

私にとっての岡山最大のイベントが岡山市内の西大寺裸祭りです。
もちろん毎年参加します!この日が一番燃えますねぇ!

地元・足守、そして岡山をこよなく愛す。ここで仕事をする以上、
地元愛無くして仕事を語ることなどできないと武田は考える。
この地はこれからも一生、お世話になる土地なのだから。

◆株式会社ヤエスプロダクション 代表取締役 堀之内謙郎 様 「武田勝彦」…その人とのご縁は偶然でした。 しかしながら初対面とは思えない気遣いと会話にどんどん引き込まれてしまいました。 彼の圧倒的な「存在感」とその「パワー」はこれからも会う人すべてを魅力し続けることでしょう。

お客さんは「生涯の仲間」。

「武ちゃん、こんなことできる人知らんか?」
知っとるよ!今連絡してみるわ!

契約を頂いたお客さん。武田にとってそれは生涯の仲間を意味する。
困っていれば助ける。この人にいいな、と思う情報があれば、届ける。そして一緒に楽しんだり、学んだりする。

武田の周りには例えばこんな人たちがいる。

●お医者さん ●美容師 ●ミュージシャン
●アパレル関連の人 ●造船会社の方 ●企業経営者
●鍼灸師さん ●農業の方 ●コンサルタント
●心理カウンセラー ●公務員の方 ●プロレスラー
●飲食店のオーナー ●年金生活の高齢者の方 ●劇団の方
●車屋さん ●弁護士さん ●杜氏の方
●作家さん ●芸能人の方  
●デザイナーさん ●スポーツ選手  
   

例えば、この人とこの人を繋いだら、きっと面白いことになるぞと思えば、どんどん繋げる。そこから派生したご縁から、またどんどん繋がっていく。
笑いの絶えない場をどんどん作り、それを全国に広げていくのだ。
今は岡山だけでなく、広島・神戸・愛媛・大阪・福岡・三重・名古屋・鹿児島・横浜・東京・宮城・北海道・・・・どんどん武田発信で笑顔の輪が広がっている。
素晴らしいことだ。

全国に井戸を作る!

あなたに質問がある。
将来あなたを守ってくれるのは誰だろうか?
武田は言う。

「将来のあなたを守ってくれるのは子供じゃない。今のあなたが今から何をするかで未来の自分が決まるんです。
『自分を守り、子供も守ってやる!』と思って行動した人だけが子供からも守られる。そこは間違いないんです。」

この日本で『生きていく』と決めたなら、やはり考えることはリスクヘッジだ。

日本は大丈夫か?
現時点ではこの明確な答えは誰一人持っていない。疑心暗鬼になるのも最もな世の中になった。
しかしそんなことを言っても仕方がない。
武田が仲間と考え、やっていることがある。

仲間たちと田舎に小さな土地を用意して、畑を作ったり井戸を掘ったりしてるんです。障害者の人達と一緒に働き、
彼らの自立支援も目的の一つです。お金がどうこうでなく、みんなで食べられる分の野菜を作り、その一角には井戸を
掘る。幸い日本はどこを掘っても水はあるからいざというときのことを考えてやっとるんです。

岡山からスタートさせたこの小さな動きをこれからどんどん広めていきたい。
それが人を救うことになる。そう考えている。

◆本気の結婚相談所 株式会社ヴィーノ 代表取締役 香川浩樹 様 自分もスピード自慢ですが、それを超える人間に初めて会いました。とにかくスピーディー。そして彼といると笑いが絶えない。しかし決める所は鋭くビシッと決める。どエライ男ですよ。

『お客様のセールスマン』。

武田は現在、フィールドを全国に持ち活躍する傍ら、行っていることがある。
いずれをとっても大切な自分自身のライフワーク。

●顧客同士のご縁を繋ぐ
●家族や仕事、子育ての相談に乗る
●様々な勉強会を開く
●若者を支援する
●子育てについて語り合う親父たちの集まりを作る
●お客さんを集めた飲み会をいろんな場所で開く
●お客さんの扱う商品を行く各地で広める・・・・

等々である。武田は言う。

「僕は『お客様のセールスマン』みたいなもんです。こんな人がいるよ、こんないいものを作っとる人がおるよ、
ここの店美味いぞなんていうのを行った先で勧めたりしています。武田が言うくらいなら、とそれが広がって
お客さん自身の商売にもプラスになれば本気で嬉しいですよね。」

  

あなたが今まで遣った金額がわかる簡単な方法。

お金というのは、あれば遣ってしまうものだ。
一向に貯金ができないタイプの人もいる。残すためにはどうすればいいか。
それを武田が簡単に話す。

「例えばあなたが今までどれだけのお金を稼いだかは計算できますよね。年収500万で20年働けば1億円。
そこから貯蓄を引く。貯金200万なら9800万円。そう。この差こそ、あなたが今までに遣った額です。
多いでしょう?つまり、これを少しコントロールするだけで、会社や家庭は見違えることになります。
それを考え、提案するのが僕の仕事でもあるんです。」

なるほど、だ。月々貯まっていくプランを作れば確実に残るわけだ。
知っているようで知らない。お金を残す方法など数え切れないほどある。
武田はそれを多くの人々に伝えていきたいと思っている。

講演で。

「皆さんの中で客先を訪問するとき、『たまたま近くまで来たのでちょっと寄らしてもらっていいですか?』っていうセリフを言ったことがある人、
手を挙げてもらえますか?」

依頼を受けて講演をすることがよくある。そのときに武田は聴衆にこんな質問を投げ掛けてみる。

「そんなウソ、言うたらあかんよ。みんな商品に自信を持ってセールスしとるんでしょう?会社はそんなあなた方に
高い給料払ってくれとるんです。ええもん売っとるんなら正面から堂々と行く。あなた方はセールスのプロでしょう?
入り口からウソがある人間からモノ買う人間なんかいませんよ。」

「なら武田先生はすべてホントのことだけで、すべて正面突破なんですか?」
一人の受講生が質問した。

「もちろん。セールスさせて頂く相手には僕は全部、腹割りますよ。」 
武田は白い歯を見せ、笑顔で返した。

『人を裏切ることと嘘つくことだけは絶対にしなさんな。それだけは許さんよ。』 

幼い頃から、母親にずっと言われてきた言葉。これだけはずっと守っているつもりだ。

◆ホタル館 富屋食堂 館長  鳥濱 明久 様 武田君に、めぐり合えた事は、親子共々大変幸せな事だと、思っております。 息子も、「武田さんて、凄い目標があって、立派な人」だと、喜んでいました。 頑張れ 武田勝彦!!

母ちゃんへ。

勝彦です。

母ちゃんが姉ちゃんを産んだ後、立て続けに三人の子供を亡くした絶望感は、僕には想像もできません。
そのあとで36歳で僕を妊娠した時、大事を取って10か月間ずっと入院してまで、
『今度の子は自分の命に代えても絶対に産んで育てる!』とあなたは僕を必死の思いで産んでくれました。

そこまでして、頂いた尊い命だということを、僕はわかっています。

「あんたすごいねえ!」「おりこうさんやねえ!」
小さい頃からとにかくそう言い続けてくれたこと、そして当たり前の
ように「あんたならできる!」と僕の自信を育ててくれたことは、僕の心の奥底にずっと刻まれています。

僕が中2の時、父ちゃんを亡くした悲しみの中で父と母の両方の役をこなしながら、休みなく死に物狂いで
二人の子供を育ててくれたことを、僕は知っています。 

20年間ばあちゃんを介護し、毎日くたくただったことも、僕は理解しています。

経営者だった父ちゃんは残念なことに多額の借金こそ残したけれど、保険などのお金はほとんど残してくれず、
途方にくれながらも気持ちを切り替えて僕らのためにイチから頑張ってくれたことも、僕は承知しています。

中学生の時から、『あなたはこの家の大黒柱だから。』と言って大切な判断を要する
場面ではいつも相談してくれ、財布の中を僕に見せながら『これでやりくりするんだよ』と
お金の教育をしてくれたことも、今の僕の仕事に随分役立っています。 

一足先に逝った父ちゃんのことを少しも悪く言うことなく、僕の記憶の中の父ちゃんを、
より素晴らしい父親にしてくれたことを、僕は死ぬまで忘れないでしょう。 

『あんたの可能性の高さは私が一番ようわかっとる』と本当にわがままな僕の手綱を
しっかりと締め、あなたは何をするのにもすべて賛成してくれました。
でも本心ではずっと心配してくれていたことを、僕は人づてに聞きました。

あなたがこの命をくれたおかげで、僕は素晴らしい妻を得て、最愛の息子と娘を授かることができたのです。

いつも考えます。

母ちゃん。

僕はあなたが命懸けで与えてくれた命に、報いているでしょうか。

僕はただただ、あなたが元気で長生きしてくれることを願っています。
そして今の家族、僕の妻や子供たちともずっと仲良く楽しく過ごしてくれることを。

僕は母ちゃんと父ちゃんがこの世に生きた証になるように、これからも全力で生きるだけです。

母ちゃん。心の底から、ありがとう。

勝彦

育英会がいらない社会を。

あしなが育英会とは、災害や事故や自殺などで親をなくしたり、親が重度後遺障害で働けない子供たちに奨学金を貸してくれる非営利団体。
武田自身もこのあしなが育英会にお世話になった。

「普通は親が亡くなっても保険にさえ入っていれば進学資金は入るはずなんです。
ということは保険に入れていない家庭がある。保険に入っていない家庭があるということは、
我々営業マンの怠慢でもあります。だから育英会でお金を借りなきゃいけない人が減らない。
もちろん、育英会がなくても助けあえる社会が理想ですが・・・・。」

自らの家も保険に入っておらず、介護が必要な祖母に育ちざかりの二人の子供を抱えた母の苦労を見てきた。
自分と同じ思いをする子供たちを無くすことが、自分たちセールスの使命だと思う。

武田という男。

「かっちゃんを宜しくお願いしますね!」

ある飲食店に行ったとき、私(筆者)が店の大将から頭を下げて言われた言葉である。
かっちゃんとは武田の愛称。しかしこんなことは一度や二度ではない。

まわりの人に愛されている”。 そう感じずにはいられないのだ。

武田と関わった人物から話を聞くと、凄い答えが返ってくる。

就職先が見つかった。独立のきっかけをもらった。会いたかった人と結び付けてもらった。新しい取引先ができた。
お客さんを増やしてもらった。彼氏を紹介してもらった・・・・・うまいことを書いているのではない。事実、そうなのだ。

鹿児島の知覧でのあるイベントで初めて武田に会った日。
そこで見たのは展示されている特攻隊の皆さんの遺品の前で、ボロボロと大粒の涙を流す武田の姿だった。
夜、彼は宴会の場を全力で盛り上げ、一夜にして初対面の人々の中で人気者になった。
かと思えば、ある特攻隊の方の遺書を号泣しながらそらんじてみせた。

“いくつもの顔を持つ熱い男”。それが武田という男に対する印象だった。

あるとき武田は言った。
「その人が大きくなっていく姿を見ていきたいし、僕もその人に自分が大きくなっていくところを見て頂きたい。
一緒に大きくなっていくことが希望なんです。」

お金とやる気とチャンスを持っている人には金融のプロとしてアドバイスをし、何も
持ってない人には、きっかけやヒントを与えたいと思う。

◆(株)人材育成JAPAN  代表取締役  永松茂久 様 距離を超えた絆、そして人と人とを繋ぐってこういうことなんだってことを彼から教えてもらいました。 かっちゃんはこれから更に大きく飛躍します。

人生に迷ったら知覧へ行け!

武田は毎月のように鹿児島の知覧に向かう。知覧と言えば戦時中、特攻隊の基地があった場所。
特攻隊の資料館には国のために命をかけて散って行った特攻隊の若者たちの遺書を始めとする
遺品や資料が多数展示されている。

何の為に行くのか?知覧は自分にとってこの上なく特別な場所なのだと武田は言う。

「知覧にいたのは人のために散っていった人達。あの場所に行った人達は皆、自分の生き方を見つめ直します。
自分は本気で生きているだろうかと。しかし日々の生活に戻ると、やはり流されてしまう自分が出てきてしまう。
自分自身もそうだから。その心を戒め、ブレていないか確認するために毎月のようにいくわけです。
自分の大切な仲間を連れて。」

一緒に行った仲間とは心と心の結び付きはさらに強くなるのを感じる。
2014年、大切な仲間と一緒にお金を出し合い、知覧に灯籠を立てた。
なにか形に残るもので町に貢献したかったからだ。

「あそこへ行くと、自分の国がどんどん好きになります。僕もあなたも、日本に生まれたことには必ず意味がある。
知覧という場所を、もっともっと人に広めるために僕は講演でも知覧について話します。家族の為に生きたかったのに
特攻に旅立った英霊さんたちに恥ずかしくないよう、もっと本気で生きなきゃ、バチが当たると思うんです。」

今年になって、この知覧の特攻隊を題材にした『流れる雲よ』という舞台を観た。

特攻隊の若者と現代とがラジオで繋がるというシーン。そこで特攻隊の若者が現代の人に問うセリフがある。

『今、日本はいい国ですか?』

武田はこの問いかけの答えを、あれからいつも考える。
即答できないジレンマ。これが日本という国の現実だ。

世界有数の年間3万人という自殺者を生む国。おかしな殺人事件を生む世を
なんとか変えなければという思いを、我々一人一人が意識しなければいけない。

毎日に、仕事に、そして家族との関係に悩んだ時、あなたも知覧へ足を運んで欲しい。
いや、できれば武田勝彦と共に行って欲しい。かけがえのない経験になるはずだ。

ここまでやるから、武田か。

昨年11月に武田から保険に入った。数日後に電話が入る。

「証券が届いたら電話くださいね。確認しに行きますから!」
「なんで?」

「なんでって、名前や住所や契約内容がひとつでも違ってたらいざというときに
困るからですよ。」

「ちょっと待って!ここ、名古屋だけど、それだけのために岡山から来るの?」

「僕、誰だろうといつもそうしてますよ(笑)。」

そう言って彼は笑った。
どこまでいってもこれが武田のスタイルだ。

「保険だけは他力本願にはしちゃいけないと思います。だからいつでも電話ください!」

あなたの保険はあなたと家族を守るもの。誰でもない、あなたのものだ。

◆有限会社クロフネブライダル  代表取締役 中村典義 様 武田勝彦という男が「保険」を扱っているのではなく、武田勝彦という男そのものが私の人生の保険です。

妻とのこと。

「なあ。交換日記みたいなことせんか?」

あるとき妻に提案した。

どこの夫婦でも、お互い気分がむしゃくしゃしたときは、売り言葉に買い言葉で本当は言いたくないことを
言ってしまうこともあるだろう。
うまく言葉にできず、不本意な伝わり方をしてしまうこともある。

普通の家庭より、顔を合わせる時間が限られている夫婦だからこそ、無駄なケンカもせず、ちいさな報告や
ねぎらいの言葉、感謝を落ち着いた気持ちで伝えることができたらいい。
そんな思いから、武田と妻との間で始まったものだ。

「始めてみて、これはいいものだと思いました。書きながら、改めて相手のことを想う。
自分が書いた言葉で自分自身の気持ちを再確認する。相手に怒りの感情を持った時には、
いいことを書いてもらった部分を読み返してみる。そうすれば、自分の気持ちにも何らかの
変化が起こるんです。」

これがあるからこそ、よその夫婦に絶対に負けない信頼がお互いにあると
思えると武田は考えている。

うちも誤解や行き違いが多いよな・・・・・”。
そう感じる夫婦にはぜひ勧めたいと武田は言う。

保険だけでは、救えない。

外資系の保険会社だけに成績優秀者である武田は3か月に一度は本社のあるアメリカやその他外国に10日間ほど行かなくてはならない。
休みらしい休みがあまり取れないことが、家族に負担をかけていることもわかっている。だからこそ、妻には感謝してもしきれない。

お客さんに対してもそうだ。
保険だけですべてが救われ、すべての人を助けられるとは思っていない。
じゃあ保険以外のことはどうするか。
自分で様々なことを学び、それ以外にも協力者を集め、自分のお客さんを全力で助けられる
仕組みだけは作り続けよう。
そう考えたとき、これからの自分の行動が決まった。

“俺はただの『保険屋』ではない。『武田勝彦』でいく。保険と一緒に自分を売ろう!”と。

この仕組みづくりに終わりはない。だからこそ、一生走り続けなければならないのだ。

武田、動く! 保険会社『いにしえの才』、始動。

2016年。武田勝彦は念願叶い、保険代理店として独立を果たした。
法人名は 『株式会社 いにしえの才』 。

「古=いにしえ」。古く江戸時代から人とその家族の未来を守り続けてきた『保険』という素晴らしいシステムを、
これからも自分が伝え続ける覚悟を名前にした。

2Fオフィスでは保険及び将来の資金計画等に関するご相談を受け付ける。
金融に対するセミナーや人財教育も行っていく予定だ。

『皆さんが集まりやすい空間で、お越し下さる方々の問題がどんどん解決する場所』をコンセプトに
新しい業務もスタート。

最初に手掛けるものが岡山の食材を全国、そして世界へ発信する「岡山の才」事業。
武田は地元岡山の食の天才・株式会社みつば社長の川上智貴と組んだ。
目利き・舌利きの川上が岡山中の生産農家を訪ね歩き、これは素晴らしいと認めたものだけを扱う。

また、日本酒『喜平』でお馴染みの平喜酒造とのコラボで純米酒『才』をすでに作り上げた。
あまりの出来の良さに、杜氏が舌を巻いたほどの出来だ。

◆岡山百貨店  http://岡山百貨店.jp

ベールを脱ぐ『才庵』!                                             

2016年4月には岡山市北区表町1-3-9に二階建ての新オフィスをオープン。
アーケードもある商店街の中ゆえに雨の日でも傘がいらない。

1F& 2Fの『才庵』 は『岡山の才』初のアンテナショップ的なリアル店舗。
選び抜かれた新鮮な生産者こだわりの無農薬の果実や野菜を使った話題の
コールドプレスドリンク中心のお店になっている。

ここで武田が実現させたかったことは商談や打ち合わせのスペースの提供。
ファミレスでは空気が悪く、うるさい。スタバ等のカフェ静かすぎて隣との距離も近すぎる。
ホテルのロビーやラウンジは周りが同類のセールスだらけで人の出入りも多く、気が散る。

ここ、 『才庵』 は、まず BOSEのスピーカーを四方に配し最高の音楽で、隣の声が聞こえない状態にし、パーテーションで視界も区切り、プライベートな空間を用意した。
何より美味しいコーヒーやドリンクを飲みながら、採算度外視で長居して頂ける空間を作った。

武田自身がセールスをしている時に、「こんなお店があったらなあ」と思ったものを形にした。
2Fには100インチのプロジェクターを設置。20人までのイベントなら貸し切り開催も可能だ。

一席のみ。貸切のヘアサロンはいかが?                         

1F奥には ヘアサロン 「THE・BARBAR FUJI」。
なんとここは一席のみの完全個室という作り。

当スタイリスト・藤友健は美容師・理容師両ライセンスを持ち、
アデランスにも社員として在籍したという面白い経歴の実力派。

ちなみに、武田の坊主頭は彼がバリカンを使わず、ハサミでやってくれている。
誰の目もない完全プライベート空間。これも武田が「あるといいな」と思っていたものだ。

これで拠点はできた。

「人のお役に立てること」。それを実現できるスペースにする。
あなたにもぜひ来て欲しい。

■岡山市北区表町 1-3-9 

質問がおかしい?

“あなたと他の営業マンとを比較した時の優位性はなんですか?―――――”
この質問に武田は怪訝そうな顔で答えた。

「横は見たことないんですよ。」
はっとした。そして、次の言葉に驚いた。

「そもそも、なんで比べたりする必要があるんです?」
ショックだった。この男は他の営業マンと同じ目線でこの仕事を見ていない。

保険でできることの全体像を僕は知っているんです。じゃあ保険でカバーできない部分は、僕が同時に
作り上げていっている別のフィールドを使って目の前のお客さんを全力でサポートしよう、と。
保険と、僕の
別のフィールドとを重ね合わせると隙間や穴が消える。つまりふたつ合わせたものが『武田勝彦』という
商品になる。
僕が売っているものはこれです。だから保険屋でなく、”I am TAKEDA”なんです。

そう言って武田は胸を張った。

有名になりたい、じゃない。それで人が僕を見つけてくれるならそうなりたい。

不幸のどん底にいた男は、今は人に幸せを配って回ることを生きがいにしている。
「僕は生涯、そのお客さんとつながり続けて力になりたい。そういう意味では保険というのは
一生つながっていられる最高の商品ですよ。そう思います。」


比類なきセールスマン・武田はまだ。この男の5年後、10年後を見たいと思う。

そして、あなたも自分の可能性を伸ばすためのネタをこの男からどんどん引き出して欲しい。
そのヒントや方法も、この男が持っている。
そして同時に”心の株主”のような気分で彼を一緒に見ていって頂きたいと思う。

それは簡単だ。あなた自身の将来設計を、『保険』という形でこの男に託せばいいのだから。

世界のTAKEDAを作るのは、実は我々なのだ。

文責/近藤直杜
あなたが、人生で叶えたいことを私に教えてください。
――武田勝彦

私は保険屋です。しかし、あなたとしたい話はそれだけではありません。
あなたとは保険の契約をして頂くことだけが目的でなく、お互いの成長を見守りあう
相手としての生涯のお付き合いを望んでいます。

何があっても死ぬまでその人とのお付き合いがなくならない方法として、私は保険というものを扱うことを仕事にしました。
この仕事はありとあらゆる人に会うことができ、そして一生のお付き合いができる稀有な仕事だと思っています。

それゆえに、この仕事で私は今まで数え切れないほどの方々とのご縁を頂いてきました。
中にはこの仕事をしていなかったら絶対に会うことはできなかったメジャーな方々もいます。
そして目立たずとも素晴らしい功績を残されてきた立派な方々ともお会いすることができました。
そんなご縁を、私はあなたにも繋げていきたいと思っています。

資産を守ることはあなたと家族の将来を考えた時に不可欠です。
そこは私の知識とノウハウであなたの絶対的な聖域として守り、将来の不安を取り除いた上でこれから
自分の人生をさらに良くし、楽しむためのご縁やヒントを僕や僕の周りから持っていって頂きたいのです。

『武田との縁で、私の人生はさらに楽しくなった!』
私はあなたに絶対にそう言わせたい。いや、必ず言わせます。

あなたとご縁を作らせて頂きたいと思っています。
これからも全力で走ります。よろしければぜひ私にご連絡いただければ幸いです。


武田勝彦

お問い合わせ・ご連絡は
090-4692-7137
 驚かないでください!本人が出ます。
takeda.k@sa-i.co.jp